富岡製糸場オヒトリサマ旅-1
お世話になってるカーセールス・ワタナベさんのオフ会があったのですが…オット、出勤となってしまいました。これ幸い…ひとりで出かけてまいりました。
前乗り
2015年12月11日(金)
出発は、前日夕方。道もサービスエリアも、空いてます。風が強いので、いつも以上にそーっと走りました。晩御飯は、高坂SA(→サイト)。オットと一緒だと滅多にフードコートでご飯を食べないので、フードコートを利用してみました。
ソーキそば 750円
さっぱりした塩味スープや柔らかお肉は美味しかったのですが…
太麺がちょっと残念な食感でした。
さらに足を伸ばして、上里SA(→サイト)で仮眠。まだまだ、ひとりだと緊張します。いつもは、朝、車が溢れて混乱する小型車ゾーンではなく、大型車ゾーンにとめることが多いのですが…これをマナー違反に感じる人もおられると知って、びっくり。大型車に気を使って、小型車に気を使って…どこにとめたら、トラブルに遭う確率が減るんでしょう? 今回は、小型車ゾーンの一番端に停めました。端とはいっても、トイレや喫煙所が目の前。深夜でも人の往来があるので、犯罪も起きにくいかな、と判断しました。
同じオフ会参加者が数台、前を通り過ぎていったようです。
一目で誰の車かわかる…ステッカー、貼ったかいがありました。
2015年12月12日(土)
翌朝は上里SAのレストランで、朝食をとりました。
モーニングセット(ドリンクバー付) 950円
ボリューム満点…というか、乗せすぎのお皿。 私でも残しちゃいました。
クリームコロッケが熱々なのに対し、パンがさめててバターが溶けず、残念。
外出時は眠りが浅い私。朝も早起きしちゃいます。でも今回は寝坊するオットがいないので、朝早めに行動に移れます。この日は、オットとだと行かないであろう世界遺産・富岡製糸場(→公式HP)による計画を立てました。
富岡製糸場ガイドツアー
8時半過ぎに、市営のP2上町駐車場(→公式HP地図)に到着しました。朝早いせいか、駐車場はガラガラ。邪魔にならず、かつ広い端にとめることができました。
この駐車場は観光バスもとまるので、ゲートに庇はありません。ゲートは機械式でキャンピングカーは大型車になってしまいますが、係員さんが常駐していて入場時に普通車扱いの磁気処理をしてくれました。
写真手前がバスゾーン。建物はトイレで、その向こう側にゲートがあります。
ここから富岡製糸場まで歩きます。といっても1本道で5分ほどでした。製糸場近くにコインパーキングがポツポツありましたが、道も駐車場も狭く、庇の出たゲートもあるところも。大して遠くないので、キャンピングカーは市営駐車場がオススメかと。
開場は9時。5分前に到着しました。すこしだけ、行列。おじさんのオヒトリサマが目立ちました。ちなみに、おばさんのオヒトリサマはわたしだけです…
開場。左手に券売所があります。1000円
(富岡の街で使える400円の商品券がついてくるので、実質600円…?)
フェンスの数に、普段の混雑がうかがわれます。
(街中でチケットを買っていくと早く入場できるそうです)
富岡製糸場については、全く知識がないまま来てしまいました。大河ドラマもみていません。ていうか、今回の旅行の計画を立てるときに初めて、大河ドラマ「花燃ゆ」が富岡製糸場に関係あることを知った次第(この記事は「花燃ゆ」の総集編みながら書きました)。ということで、ネットでも評判がよかったボランティアのガイドツアーを利用してみることにしました。
ゲートをくぐったあと、右手に進むと、ボランティアガイド用の券売機(200円)があります。
イヤホン端末をつかってガイドさんの声が聞くことができます。
ガイドさんのそばにいなくても説明をききながら、撮影したり見学したりが自由にできました。
ガイドツアーは9時半から30分毎となっていましたが、この日は人数が集まり次第だったようで、9時5分にはスタート。
正面にある象徴的な 東置繭所
木骨レンガ造り。弱そうに見えますが、たくさんの地震を乗り越えてきたんですから、強い造りなんですね。
年に1回しか繭を作らない蚕。たくさんの繭を乾燥させ、在庫しなくてはなりません。
今なら機械・空調で乾燥でしょうけれど、当時は電気もきていません。そのための通気用の窓が沢山あります。
技術を教えるためにきたフランス女性教師のための 女工館
高温多湿な日本。日光を遮るためにベランダがつき、通気を考えて、窓には鎧戸、軒は格子状になっています。
窓ガラスは当時のもの。真っ平らな板ガラスが作れなかったので、ゆがんでいます。よく残っていますよね〜
繭から生糸を作る 繰糸所
明かりとりのために東西にながーーーーい建物。電気はきていませんから、ガラス窓がたくさんあります。
屋根は蒸気を抜くために越屋根(小屋根が乗った形)になっています。
照明がなくても、あかるーい! 繰糸所内部
?建物はトラス構造で柱がありません。昭和62年の操業停止まで稼働していた
ニッサンHR型自動繰糸機がラップされて置かれています。
一番奥で自動繰糸機のビデオが流れています。
この操糸所で自動繰糸機が動かせたらいいのに…と思いましたが、蒸気がで建物が傷んでしまうかしら?
指導者の住まい 首長(ブリュナ)館
レンガが置繭所より綺麗です(笑)
ブリュナさんが帰国された後は、大きい建物なので学校として利用されたそうです
ガイドツアーは参加して正解でした! 人によって内容やスピードも違うのかもしれませんが、オススメです!
富岡製糸場は単に利益をあげるための工場…ではなく、国の主要産業として技術を日本中に広めるための教育機関でもあったそうです(いい技術者は地元へ帰ってしまうので、しばらく赤字続きだったとか)。敷地内には学校も診療所もあり、工場外への通学のための配慮もされていたそうで、繊維業=女工哀史=ブラック企業のイメージがガラガラ崩れました。逆に明治以前にはなかった教育に力を入れていて、その精神が今の世界遺産に結びついたのかな、と感じました。操業停止後も保存を続けた片倉工業(→サイト)さんには敬意を称します。
実は工場が世界遺産になることに、すこし違和感を感じていたのですが…単に古い建物が残っただけでは、そもそも産業遺産や文化財として指定されてないんだな、と納得しました。むしろ今の時代につながる分、はっきりと製糸場にいた人間の息吹・思いが感じられる気がします。他の同じような遺産も、回ってみたくなりました。大人の社会科(歴史)見学ですね(笑)
(つづく)
【おまけ】
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